宮本武蔵

当ページでは宮本武蔵のルーツ、二刀流、また彼の残した言葉の内、ごく一部をご紹介します

宮本武蔵のルーツ

宮本武蔵の父は、平田武仁少輔正家、号を無二斎。
無二斎は新免家の家老で、武技にも優れ家中の兵法指南もしていたといいます。
無二斎は剣術を修め、当理流と号しました。
永禄年間に将軍足利義昭の御前で、将軍の兵法指南役吉岡憲法と試合をして勝利し、
城主新免宗貫から「新免姓」を名乗る栄誉を与えられたといいます。
また、二天記に「十手・二刀の達人なり」あります。
彼は十手術をよく遣い、両手に一挺づつを扱ったそうです。
つまり武蔵が編み出した二刀流はまるっきりのオリジナルではなく、
父の方法にヒントを得て編み出したものである、ということもできそうです。

二刀流

宮本武蔵の開いた流派二天一流は、ご存知の通り二刀流で有名です。
彼以前にも二刀流は京流・寶山流・新影流などにもありましたが、あくまでも秘伝であったようです。
二刀流を広めたという意味で、武蔵をこの元祖と解釈しても差し支えないでしょう。
また、江戸時代における二刀流の諸派は、ほとんど武蔵の流儀から出たものだといわれています。

武蔵の言葉

武蔵はこのような言葉を残しています。
「わが一流の兵法にあっては太刀の使い方に初心も奥義もない、
ましてや極意の構え、つまり一切決め手の形というようなものはない」
武蔵はとにかく、簡略な技術、方法論で全てに対応できることが重要であるとしました。
方法論が簡略であるということは、応用が利きやすいということができます。
武蔵はこれを「一をもって万と知る事、兵法の利なり」と表現し、
「型」ではなくその根幹となる「形」を重視するように説いています。